K

ねこ

彼女はベランダの下にある屋根の間のくぼみに連れてきてくれた。

決して眺めがいいといえないまでも夜風は涼しくそこはひんやりとしていた。

彼女はそこの場所が好きでよく鳴いては母親にベランダに出ることを懇願していた。

 ※

しばらくすると、自分自身が暗い上下左右の感じられない世界にいることに気づいた。

後から考えると平行感覚が麻痺しているのか、その世界が無重力なのか、訳がわからなかったが、

そのときは不思議とそのことには意識せず、僕の眼は頭を中心にゆらゆらと弧を描くようにゆれる一人の猫を見ていた。

その猫は麻の白いシャツ布を身にまとい、背筋がピンとよく伸ばしながら立っていた。

異様な姿ながらも僕ははじめからその猫が彼女だと分かっていた。

僕は、彼女に謝っていた。ごめん、なぜ僕を嫌うのと。

そのとき僕はその言葉に意識を集中していただけで彼女の姿を把握できていなかった。

それは対象がいない懺悔のような光景だった。

次にその姿が現れたとき僕は、彼女の手を握りまた謝罪の言葉を繰り返していた。

急に彼女のすぐ側でしゃがみながら手を握っていた、僕の体が

あたかも次にそうなることを準備されていたかのようなたち位置におかれると

彼女の左手が思いっきり僕の柔らかい頬をへこませた。

肉球の柔らかさと人の手で手入れされた短い爪の感触、が跡を残した。

僕は、彼女が人と同じように過去の記憶をいまのそれと関連づけて判断できないんだろうかとすこし疑問に思った。

しかし、すぐにそれはありえないことだと思った。
なぜなら、彼女は僕の父親のした、ただ一度のひどい事、
(父親本人には悪気はなかったのだけれど)それを記憶し、それ以来父親が触れようよするだけで、威嚇の音をならしていたからだ。

僕は、どのようにすれば、僕の謝罪のサインが彼女に伝わるかを必死に考えていたが、思いつかなかった。

そのうち、なぜ僕はここまでして彼女に謝らなければならないのかが気になり始めた。

 彼女に好かれたい 彼女に触れたい 

その一心で謝ろうとしている自分がそこに立っていた。

しばらく、元の世界の彼女(白い布を身にまとい直立していない方の彼女)の仕草を回想していると

とにかく僕は僕で、彼女を気にせずやっていこうと思うに至った。

それは、いささか直感的なものだったし、頭の中に大きな透き通った秋の空がイメージできるようなものだった。

ふと眼が覚めると、僕の眠っていた畳の側のちゃぶ台の下から彼女がじっと僕を見つめていた。

僕は麦茶をのみに冷蔵庫に向かい、飲み終えてから寝室に戻ろうとしたとき、柔らかな毛並みの感触が足に感じられた。

僕はおやすみと一言いうとそのまま歩き出し、深い眠りにつくことにした。