今から三人で
正午
明るくみなれた路地を
学校までクロスバイクを走らせる
サングラスのおかげでいつもと視界の色彩が違う
全体的に薄暗いその視界と下を向いたときの明るい世界の狭間が好きだ
信号や標識の真下から見上げるその景色
危ないけれど自転車のりながら横を向き、下を向きながら走る
全ての景色がいつもと違う感覚をあたえてくれる
学校のそば
三人の女の子が学校から逆方向
バス停に向かって歩いていく
“今から渋谷いかなーい?”
“いくー”“いくー”
この一言が新鮮だった
自分が学校に行く時間に渋谷に向かうこともそうだけど
なにより最近、無目的にどこかにふらーっと
行く経験が自分の中ではなかった
中学校や高校のころは、梅田に行く
河原町に行くといえば心がワクワクしたし
どこかわからない空間というものの中に非日常があって
次の日までその高揚感が残ってた
行った人お互いが行った人同士だけの仲良し空間をつくり
どこか他人よりも誇らしくいい休日を送った感覚がそこにはあった
忘れていたこの感覚をもう一度味わいたいとおもった
だから今週の週末どこかふら〜っと行きたいとおもった
・お食事処まるたかでのメモ
流行(メインストリーム)に流される人 と それにただ反発する人 と その流れの本質を考える人 と ただただ何も考えない人
人を信頼することはある意味裏切られるリスクを背負っている
人に認められる生き方、自分の夢 やりたいを実現させるやり方
どちらに自分の満足を感じる
ただ黒か白かではない
要素ようその本来の目的を考える(インターンシップ)
“確かに・まじ・すごい”口ぐせを使い過ぎてる
言葉を使った際、罰として腕につけた輪ゴムをはじく
だめだという意識と共に、身体的な痛みを与えその癖をなおす
・インドネシア語(小笠原先生との話)
バリ
宗教や習慣を多くの人はその生活を享受している
ただそれを鵜呑みにするのはナンセンス
実際にはそれを享受しないマイノリティーは存在する
しかし、その集団は大多数に対して迷惑はかけない
ただ反発する人、大多数の枠に外れる人は徹底的に叩かれる
知識人はただ享受することに疑問をもたないんだろうか?
ある程度は論理でつめるけど、神がいるかどうか論理的に説明できない
感覚が根底にはある
それをつめる論理がある